ヨッピーのブログ

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ネット歴15年の僕がインターネット自分史を書いた ヨッピーの場合

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こんにちは。ヨッピーです(写真一番左)

先日「ウイルスバスター」というセキュリティソフトを展開するトレンドマイクロさんと一緒に「インターネットとセキュリティの歴史を振り返る」みたいなイベントをしました。

 

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ヨッピーが破天荒な自分史を語るイベント「ガチでセキュリティな夜」レポート

http://channel.trendmicro.co.jp/vb/archives/521

 

 

その時に「ヨッピーのインターネット史」みたいなのを発表しましてですね、

せっかく作ったのでWEB上にも残しておこうと思い、

こうやって記事にしている次第であります。

 

ちなみに、30歳以上のオッサンには「あー!懐かしい!!」ってなることうけあいですが、平成産まれの人達にはサッパリわからないかも知れません。「こうだったんだー」と思いながら読み進めるとなんとなく歴史の勉強って感じになる気がします。知らないけど。

 

■僕と人生初めてのパソコン

 

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当時の一般的なパソコン。やたらとデカい

 

画像はNECのPC-9821シリーズ、「キャンビー」というパソコンなのですが、

僕が高校生の頃に人生初めて買ったのは「バリュースター」という「キャンビー」よりもう少し性能が良いシリーズのやつだ。20万円くらいしたような気がするけど母親を適当に言いくるめて買って貰った記憶がある。

 

何故僕が母親を騙してでもパソコンが欲しかったのかと言うと、単純にエロゲーがやりたかったからだ。

 

その当時高校生だった僕が、何故エロゲーに興味を持ったか、について語るには中学からの同級生であるO君の話をしなくてはいけない。

 

O君の実家は事業をしていて、O君はそんな裕福な家庭に育ったので、中学生の頃からありとあらゆるゲーム機を揃えていてかなり恵まれたゲーム生活を送っていたのである。

恐らくこれを見ている人達の古い友人にも、一人くらいは「ゲーム機全部持ってる」みたいなボンボン息子が居たんじゃないかと思う。O君はそういった類の「ボンボン息子」の一人だ。

 

O君はいかんせんゲームに目が無かったので「A列車シリーズ」とか「三国志」とか、パソコンでやるゲームの類もたくさん持っていてゲームにまみれた生活を送っており、

そんなO君は僕にエロゲーを買いに行かせたのである。

 

「いきなりなんでエロゲ!?」

 

って思うのはもっともな話なのだけど、当時の僕らは18歳に満たない年齢で、本来であればエロゲーなんて買える歳では無い。ただ人より成長が早く身長も高かった僕はエロ本の類を買う時に店員さんに止められた事は一度も無かったのだ。大らかな時代だった事もあるかも知れない。そして何より僕にはそういう「エッチなものを買うのが恥ずかしい」みたいな感覚がすっぽり抜け落ちた人間だったのだ。

 

そんな僕に目をつけたO君は僕にこづかい三千円を渡し、お目当てのエロゲーを大阪の日本橋(東京で言うところの秋葉原みたいな町)に買いに行かせるのである。「金を渡してエロゲを買わせる」なんて、今思えばとんだ友達関係だったな、と思うのだけど高校生の僕にとって3000円は大金だ。「3000円もくれるなんて、O君は最高のマブダチだぜ!」なんて思いなら日本橋に自転車を走らせる僕。

 

その僕とO君の関係により、O君はエロゲーを買うのに恥ずかしい思いをしなくても良いし、僕は1時間やそこらの作業で3000円をゲット出来る。

「Win-Winの関係」と言われて今でも真っ先に思い浮かぶのはこの時のO君と僕の関係だ。

 

そんな風にしてO君に頼まれたエロゲを日本橋で買い、

O君に渡して代金とおこづかいをゲット、という新感覚のアルバイトをこなす内、

思春期で多感な時期の僕が「僕もエロゲやりたい!」と思うのはしごく当然の流れであり、

O君はO君で、

 

「よっちゃん(僕のアダ名)がパソコン買ったら、エロゲー貸したるで」

 

なんて言うもんだからこれはもう買わざるを得ない状況になってしまったのである。

当時はWINDOWS95が発売されて「一家に一台パソコンの時代!」なんて時代の流れだった事もあり僕が母親を説得するのにそれほど時間はかからなかった。

母親も「なんかパソコンっていうのがすごいらしい」みたいな感覚はあったんだと思う。

 

「これからはパソコンの時代だから!」

 

ビルゲイツってのが居てね、これまたすごいんだから!」

 

「ウィンドウズって知ってる?あれが未来さ!

 

そんな適当な事を3時間くらいずっと言い続けた気がする。

僕の気迫に押されたのか、根負けした母親から20万円を超える金額の現金をせしめ、晴れて自分の部屋に人生初めてのパソコンが届いたのであります。

それがNEC-9821 V16というマシンで、メモリがなんと16MBという、今で言えばチンポみたいなスペックのマシンだけど、それでも当時は最先端だ。

その最先端のマシンで何をするか?

もちろんO君に借りたエロゲをやるのだ。

 

 

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当時のパソコンユーザーが熱狂した伝説のエロゲ、同級生2。

今ではAmazonで2万円くらいの値段がついてて腰を抜かすかと思った。

 

 

まんまとパソコンを入手した僕はO君に借りたエロゲーをあれこれ遊ぶわけでして、

その中には↑に貼った「同級生2」のソフトもあった。

当時のエロゲーWINDOWS95が出るまではNECのPC-9821シリーズでしか動かないものも多く、WINDOWS95が発売されるようになってからようやくエロゲーがWIN機であればほぼ動くようになり、NEC以外のユーザーが狂喜乱舞した事は言うまでもない。

 

 

そんなわけで買ったパソコンですが、インターネットにも繋いでいないため結局はすぐに飽きる。インターネットの繋がっていないパソコンは僕にとって面白いオモチャでは決してなく、そのうち「エロゲ専用機」と化してしまった。

 

そうこうしている内に段々部屋のパソコンがホコリをかぶるようになり、

母親から「高かったのに……」などと愚痴を言われていたのが高校3年生の頃だったように思う。

 

 

 

WINDOWS95の起動音。懐かしさに震える人も多いと思う

 

 

■借金で買った2台目のパソコン

 

 

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そんな感じですっかりパソコンから離れ、大学に入学してパチスロと賭けマージャン三昧というひどい生活を送るようになった僕に、ある転機が訪れる。

それがこのDiablo2というゲームだ。

 

当時の「パソコン」はまだ市民権を得てるとまでは言えないポジションで、

やはり「オタクのオモチャ」というような感覚が強いアイテムだったように思うのですが、

地元の友人の兄に「サーファー兼DJ兼オタク」というハイブリッドな人がいて、

その人に初めてやらせてもらったエロゲ以外のパソコンゲームDiablo2だ。

 

これがもうハンパの無い面白さで、スーパーファミコンでやるような、ストーリーをなぞるだけのゲームとは違い、インターネットを通じて世界とつながっており、全然知らない外国人が「JAAAAAAAAAAAAAAP!」とか叫びながらいきなり襲い掛かってきて殺されたりするのだ。ディズニー映画だけで育ってきた僕がいきなりマッドマックスを見たようなものである。相手からアイテムを盗むために詐欺みたいな事を平気でやる連中がゴロゴロ居るとんでもない世界がパソコンの中に広がっていることの衝撃たるや。

 

このゲームにすっかり魅了され、友達の家に行ってはDiabloをやらせて貰っていたんだけれど、だんだんそれだけでは飽き足らず、「家で思う存分やりたい!」と思うようになるのは自然の流れであります。ただし家のエロゲ専用機と化していたバリュースターではDiabloの要求スペックがクリア出来ず、結局は新しいパソコンを買う事になるのである。

 

流石の母親も2台目となると渋い顔をしたので、

 

「大丈夫!パソコンはもう全部覚えた!」

 

「今回こそはヤバいことになりそう。前回はちょっと時代を先取りしすぎてたかな」

 

とかなんとか適当な事を言いながら母親からの借金という形で13万円を借り、2台目のパソコンをゲットすることになる。OSはWindows98SEだったと記憶している。

ちなみに借金はパチスロで稼いですぐに返した。

 

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当時のパソコンはこんな風にマウスの裏にコロコロしたボールが入っていて、定期的に掃除しないと反応が悪くなったりした。デジタルなのかアナログなのか良くわからない時代の話である。

 

■初めて手にしたインターネット

 

そうして手に入れた2台目のパソコン。

Diablo2はオンラインゲームなので当然インターネットにも繋ぐ。

 

 

 

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加入したのがこちらの「フレッツISDN」というサービス。

恐ろしい事に↑の写真は現在のフレッツISDNホームページの画面のキャプチャで、

今の僕の心は「まだサービスやってたのか……!」という驚きに満ちている。

 

当時のインターネットは今では信じられない事に繋げば繋ぐほど電話料金がかさむという従量課金制のヤクザみたいな料金体系になっていて、ヘビーユーザーの中には月に電話料金10万円を請求されて頭を抱える、みたいな人もたくさん居た。それを避ける為にネットユーザーは「テレホーダイ」という深夜のみ電話し放題、みたいなプランに入っていたのだ。

 

なので毎日23時のテレホタイムになると一斉にインターネットが重くなるのが常だった。

そんな中でフレッツISDNは一日24時間繋ぎっぱなしにしても定額という当時としては画期的だったサービスなのですが、後述するADSLの普及で一気に市場から駆逐される事になる。

なにせ64kbpsというアナログ回線に毛が生えた程度のスピードしか出ないシロモノなのだ。エッチな写真を見ようと思ってもジワジワ上からあぶり出しみたいに表示される。オナニーするにも忍耐が必要だった頃の話、平成産まれの人達には想像も出来ない世界の話だ。ただし、それでも当時のISDNは「高速回線!」みたいな扱いを受けていた事は書いておきたい。テレホ組からISDNは羨ましがられたものだし、僕はそんなテレホ組を散々バカにしてたし、2ちゃんねるに「アナログ回線氏ね」とか2000件くらい書いて荒らしたりもした。

 

 

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そんな中で2001年に僕の人生を変えるエポックメイキングな出来事が起こる。

それが「テキストサイトの開設」だ。

 

テキストサイトとは文字通り「文章をメインコンテンツに据えたサイト」の事で要するに「日記サイト」であります。今で言うところのブログみたいなものだと思って頂けるとわかりやすい。

 

ただし当時は前述の通りインターネット回線が死ぬほど遅く、画像を多用すると読み込みに時間がかかるため、基本的にはみんな「文章だけ」で日記を綴っていた。だからこその「テキスト」サイトである。

 

動画なんてもってのほかで、恐らく、今のHIKAKINさんなんかの動画をネットで落として見ようと思えば読み込みに20時間くらいかかったはずだ。もし今のネット回線がこの頃のスピードに戻ったとしたらHIKAKINさんはYoutuberを2秒くらいで引退するだろうしDMMも倒産間違いなし!になると思う。それだけ今のインターネットは快適になったわけであります。技術の進歩ってすごい。

 

 

 

で、何故僕がテキストサイトを作ったか、と言うと、

「それしか出来なかったから」というのが正解に近い。

 

今みたいにTwitterFacebookも無い時代で、「インターネットで何かしたい」と思ったらホームページを作って日記を書くくらいしか自分に出来る事が無かったからだ。

FLASHアニメも作れないしプログラムも書けない。でも自己顕示欲だけどはバリバリある。日記なら自分でも書けるかなとなんとなく思ってはじめたのがこのテキストサイトだ。

 

そしてこれをきっかけにネットで文章を書く事を覚え、今ではそれでもって生計を立てているのだから感慨深い。スティーブ・ジョブズが言ってた「点が線になる」というのはこういうことか、と思う。

 

いまちょっと格好良く「点が線になる」とか言ってみたけど、当時書いていたのはチンポがどう、みたいなどうしようもない話がほぼ100パーセントである。当時は童貞だったので童貞ネタと人の悪口(バイト先の店長とか)くらいしか書いた記憶が無い。バイト先の店長を空想上で惨殺するような日記も良く書いた。友達の彼女がブスだという話もたくさん書いた。そんな点が線になったところでたかが知れてる、という事だけは言っておきたい。そしてやっぱり今でも同じような事をしている気がする。

 

 

 

■普及しはじめるインターネット

 

そうして僕は日夜箸にも棒にも掛からないような日記を書いて日々を過ごしていたのですが、これが随分面白かった。何せ今までまったく接点が無かったような友人がガンガン増えて行くのであります。オフ会に出席するためだけに東京に行ったりもしたし、自分でオフ会を開いたりもした。夜になるとネットの友達とのチャットやネットゲームに明け暮れて学校にも行かず、インターネットにどっぷり浸かっていた時期だと言える。

 

 

そうこうしている内に、ある大きな動きが起こる。

 

それがYahoo!BBモデム大量配布事件だ。

 

Yahoo!BBがモデムをばらまき?

http://allabout.co.jp/gm/gc/48208/

 

 

 

これは2003年当時のAllAboutの記事ですが、

Yahoo!BBが駅前でADSLのモデムを配りまくるという事案について解説した記事だ。

 

老若男女に片っ端からモデムを配り、「モデムが無料やで!」みたいなセールストークで強引(?)に各家庭にネット回線を敷きまくったのであります。振り返って考えてみると「滅茶苦茶だな」の一言ですし、当時のネットでもこの販促キャンペーンについては非難の声がたくさん挙がっていて、音頭を取っていた孫正義さんも盛大に叩かれていた記憶があります。モデム配るだけ配っておいてネットの開通工事が全然進まなかったり。

 

色々穴もあるしかなり強引とも言える手法ですので、怒る人達がいるのは当然の事だと思うのですが、皮肉にもこの強引なキャンペーンがインターネットの普及を爆発的に早めたのであります。賛否両論あるにしろ、この手法がインターネットの普及に勢いをつけたのは間違いないと思う。

 

殿様商売をしていたNTTに価格競争をふっかけ、接続料金の低価格化を引き起こしたのも大きい。これによって従来の数十倍の速度の回線を半額で使える、みたいな感じで、当時の日本のネット回線は世界最安と言われるような環境になった。みんなが接続速度や料金を気にせず、好きなだけインターネットに没頭出来る環境がいよいよ整った、と言えるかもしれない。

 

 

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そしてmixiの時代がやってきます。

 

前述したYahoo!BBによるインターネットの普及率の底上げが何をもたらしたかと言うと、

荒っぽく言えばインターネットが「オタクのオモチャ」から「一般人のたしなみ」に変化した事だと僕は思う。

 

それまでのネットと言えば何事にもこだわる、マニアックで専門的で少し気難しいオタク層が主流を占めていた記憶があるのですが、インターネットの普及によってなだれ込んできた「一般人」がすごい勢いで幅をきかせはじめた。

 

一般の人達は作るのにhtmlの知識を必要したテキストサイトより手軽にはじめられる新しいサービスである「ブログ」またはmixiをこぞってはじめたのである。

 

また、アメーバブログによる「芸能人ブログ」の登場がそういう「一般人」をインターネットの世界に引きずり込むのに一役買った。それまでは文章をコネてコネてコネくりまわして「日記」に仕立て上げていたテキストサイト育ちの僕からすると、「今日はランチで○○を食べました♪」なんていうプレーンな、毒にも薬にもならない文章がアップされ続けるブログやmixiといった文化に「これがコンテンツとして成立するのか……!」と衝撃を受けた事を覚えている。

はあちゅうがブログをはじめたのも丁度この頃の話だ。

そして彼女がブログで自分の顔写真を載せただけで「芸能人気取りか」とボッコボコに叩かれた時代でもある。

 

今では「モンストの会社」として認知されているであろうmixiだけれども、今で言うところのFacebookのポジションにすっきり収まっていて、若い人達はみんなmixiのアカウントを持っていたし、新しい知り合いが出来るととりあえずIDを交換して「マイミク」になったものである。

 

見ず知らずの誰にでも開かれたインターネットにおいて、友人関係の延長線上で作られたmixiの「優しいインターネット」は恐らく「一般人」の人達にとって居心地が良かったんだと思う。「全盛」と言って良いくらいに隆盛を極めた。同じニュースのトピックでも2ちゃんねるmixiでは論調が随分違ったりして「面白いものだな」と思った記憶もある。

ただし僕らテキストサイトの人間はネットの隅に追いやられ、どんどん存在感を失いつつあった。

 

 

■そしていよいよ、あいつがやってきた

 

 

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そして満を持して登場するのがこのお化け商品、iPhoneの登場であります。

発売が2007年なのでそれでももう8年も前の事だと思うと感慨深い。

これが登場する事によってインターネットが「家の中にあるもの」から「持ち運べるもの」に変化した。インターネットの最終進化系がこれなのかな、と思う。

 

この衝撃はデカかった。

僕がその実物を見たのは居酒屋に家入一真さんがiPhoneを持ってきて「良いだろー」と自慢した時が最初だ。それまでの携帯でのネット接続と言えばガラケーでショボいページを見るもの、だったのが「普通のインターネット」がiPhoneの中には展開されていて衝撃を受けたのを覚えている。「これは日本の家電メーカーの携帯は全滅するな」と思い、結局はその通りになる。

 

家でコソコソと、23時になるのを待ってインターネットに繋いでた時代から考えるととんでもない進化だ。他にもTwitterが流行り始めたり、あれだけ隆盛を極めたmixiが自爆としか言えないような愚策を連発してユーザー離れを招いたりと色々あるのだけど、その辺の話になるとご存知の方も多いでしょうから今更書くまでも無いかな、と思う。

こうしてインターネットが持ち運べるものになり、24時間いつでも触れられるものになった事でインターネット上のコンテンツがもてはやされるようになり、その流れに何故かたまたま乗れてしまったおかげで今の僕があるのだろうな、と思っている。2006年に加入した「オモコロ」も当時はインターネットの片隅で細々としょうもない記事を量産していたのが、SNSの普及によって広まり方が段違いになり、なんとなくそれがビジネスとして成立するようにまでなってしまった。

 

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iPhoneの恰好でiPhoneの発売に並んでCNNに出たりもした

 

 

振り返ってみるとここまで書いてたった15年間、その15年間で良くここまでインターネットが進化したなぁと思っている。ちなみにファミコンがPS4に進化するまでは30年近くかかっている。それでもすごい話ではあるんだけど。

 

一応補足しておくと、これはあくまで「ヨッピーのインターネット史」であって、「日本のインターネット史」ではないという事を伝えておく。事実と違ってるかも知れないし、抜けている事がたくさんある事も理解している。ただ少なくとも僕はこういった「点と点」を繋いでここまで来たと思っていて、それをなんとなく残しておこうと思ってこれを書いている。「僕はこうだった」というのがある人は是非それを書いて欲しい。僕はインターネットを愛しているし、同じようにインターネットを愛している人のラブレターを読んでみたいと思うからだ。